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翌12月15日新帝ニコライ1世は

翌12月15日新帝ニコライ1世は自ら政府軍を率いて反乱の鎮圧に当たった。ニコライは、あくまで流血の悲劇を避けようとしてデカブリストを投降させようとした。勅使として兵卒に人気のあったミハイル・ミロラドヴィチ伯爵を派遣し、デカブリストの説得に当たらせたが、ミロラドヴィチ伯が狙撃され落命するに及んで、政府軍の投入を支持した。デカブリストの反乱は一日で鎮圧された。

南方結社は、12月13日にペステリ大佐をはじめ指導者が次々と逮捕された。南部結社のメンバーがペテルブルクでの武装蜂起の情報を得たのは乱後、2週間経ってからであった。南部結社には、ロシア・ナショナリズム、スラブ民族の連邦国家創設を目指す「統一スラブ派」が参加しており、ペステリ逮捕後は統一スラブ派が中心になって活動した。統一スラブ派は牢獄を襲撃し逮捕された指導者たちの何人かを解放することに成功した。そのうちの1人、セルゲイ・ムラヴィヨフ=アポストルは、12月29日チェルニゴフ連隊が武装蜂起したが、葡萄弾 Grapeshot(散弾の一種)で武装した政府軍によって1826年1月3日鎮圧された。
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事件後、軍事法廷で関係者579名が裁判を受けた。首謀者とされた、ペステリ、カホフスキー、ルイレーエフ、ムラヴィヨフ=アポストル、ミハイル・ベストゥージェフ=リューミンの5人は絞首刑を宣告された。その他のデカブリストは、シベリア、極東、カザフなどに流刑を宣告された。 これら流刑となった夫の後を追い、11人の妻が貴族身分を放棄してシベリアへ向かったことは、ロシアでは夫への献身の象徴と見なされている。

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2009年09月17日 15:39に投稿されたエントリーのページです。

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